★ETV特集「細野晴臣、音楽の軌跡・・・ミュージシャンが向き合った3.11」 [⇒細野晴臣]

昨日(5月29日)、NHKで放送された細野(晴臣)さんの活動を特集した番組は、いろいろ考えさせられる内容だった。

細野晴臣ポートレート.jpg

しかし、細野さんほど事あるごとにその活動を振り返る番組が作られる人も珍しいのではないだろうか。それだけ、日本の音楽界における存在の重要さが問われている、という事でもあるのだけれど。

久々にソロアルバムを発表する事になって、それにまつわるこれまでの活動を振り返るという主旨の番組を作るはずだったのだろうけど、その取材中に起きてしまった震災で内容のポイントが大きく変わってしまったようだ。

ただ、細野さんの過去を追った番組だったら、自分にとってはそれほど目新しい物にはならなかっただろうけど、その長年の音楽活動を根底から覆す出来事が起こってしまった事で、ファン暦30年以上の自分にとっても初めて見る細野さんにはとても衝撃を受けた。

本当に音楽の事しか考えていないと思っていた細野さんが、これほどまでに音楽に疑念を持つ姿は今まで人に見せた事がなかったのではないだろうか。

それは多分、自分が思うに今まで意識していなかった「死」というものが、本当は常に自分に寄り添う形でずっとそばにいた、という事に気が付いたからではないかと思う。

文明に守られて生活していると、「明日」という未来は必ずやってくると錯覚してしまうけど、それは明確に間違えだという事がなかなか分からない。ある本のタイトルにも有ったが、人間は皆「自分は死なない」と思っている。

だが、必ずやって来ると保証されている未来は「明日」では無く「死」、自分は死ぬという事なのである。そして、その意識こそが人生を充実した物にしてくれるのだ。

ゴールの無いマラソンを全力で走り続ける事ができる人間なんていないだろう。「死」というゴールが有るからこそ充実した人生を送る事が出来るのである。

結局、今までの日本に空虚な空気が蔓延していたのは、ゴールの無いマラソンを走り続けさせられているという虚しい意識がどこか心の奥にあったからなのではないか、と思う。

今回の震災は「私は死ぬ」という事をハッキリと気が付かせてくれた、という意味で大きな出来事だった、とつくづく実感する。

それと、一つ、ホッとしたことがある。震災後、しばらく音楽から遠ざかっていたという細野さんと自分もほぼ同じ行動を取っていたから。

音楽など創作活動に携わっている人たちは、メンタル面で繊細でなければ出来ないと思うのだが、自分も多少はその辺りの気持ちを理解できていたのかな、と。

60歳を超えて、お孫さんもいる立場になった細野さんだが、いくつになっても、おじいちゃんになっても、やっぱりこの人の行動からは目が離せない。そう思わされた番組だった。
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