★映画「100,000年後の安全」の感想 [⇒映画]

先日、放射性廃棄物の処分場を取材したドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」を観てきた。

100000年後の安全ポスター.jpg

今だ終息しない福島の原発事故やら、突然のスーちゃんの訃報で頭の中がグチャグチャだが、早めに観に行っておかないと終ってしまうと思ったので。

しかし、観終わった後、思いっきり絶望感の残る映画だった。結論から言ってしまえば、放射性廃棄物の確実に安全な処分方法など無いのだ。

永久に放射線が外部に漏れないようにと、現在、フィンランドに建設されているオンカロだが、その方法論は極めて妄想的だ。

関係者に地下500メートルに埋めれば安全だという結論に至った理由を問うても、「たぶん・・・」だとか「きっと・・・」だといった不確実な希望ばかりだったりする。

もちろん、人間の文明がこれから10万年続く保証など何も無い。人間が生きている内は管理できるかも知れないが、その後はどうなる?「危険」など書いておいていたところで、見つけた者がそれを読める保証は無い。興味本位に扉を開けれら、いじられたら・・・?

結局、人類は人類が生み出した物によって、翻弄され、自滅していくのではないだろうか。他の生物を巻きぞいにしながら。

これから我々にできる事といえば、少しでも放射性廃棄物を出すのを少なくする事しかないと思う。それは、自分達の為はもとより、自分達の子孫の為でもある。故に、原発は必要ない。

放射能は全ての生物に平等に害を与える。そこには一般市民だからとか権力者だから、などといった言い訳は通用しない。

もしかしたら、権力者やら金持ちは「我々にはシェルターがあるから」などと思っているかもしれないが、他の全ての生物が息絶え、廃土と化した世界に生き残っていて何が出来るというのだろうか。そこには作物なども当然生まれてこない。

原発推進者は自らのエゴの実現や金儲けの為に、他人の生活など省みず、嘘をついてでも原発を作ろうとするだろうが、それは自分も、そして自分の家族・子供をも苦しめるという事を想像できているのだろうか。

原発の無意味さ、放射性廃棄物の恐ろしさ、そして人間の愚かさを実感させられる映画だった。
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