★追悼、中村とうようさんの遺産(1)・・・ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン [⇒中村とうよう]

Twitterにも書いたのですが、さる7月21日に報じられた、音楽評論家で雑誌ミュージック・マガジンを立ち上げた中村とうようさんが亡くなられた件。

遺書らしき物もあり、自殺ではと言われていますが、現時点では核心的なことは分かっていない。

しかし、本当に自殺だとしても何故、齢80を目前にして自死を選ばなければならなかったのか、今はまだ納得が出来ない。わざわざそうしなくても、いずれ迎えが来ただろうに・・・。

自分にとってとうようさんが作ったミュージック・マガジンと言う雑誌は、単なる雑誌を越えた存在だった。正直、学校より教わった事が多いと思う。自分が読み始めた90年代初めからのマガジンは、すでにとうようさんが編集長ではなかったけど、まだまだその尖った感性が息づいていたと思う。

特に、レコードやCDのセールスに左右されない音楽のチョイスは、それまでの欧米中心だった自分の視野を大きく広げてくれた。

「良いものは良い」、「悪いものは悪い」と歯に衣着せぬ文章は、とうようさん以外のライター方にもしっかりと引き継がれていた。そのスタンスは今の自分の感性を築くのに大きな影響を与えてくれた。

そんなとうようさんと彼の分身とも言えるミュージック・マガジンから教わった、素晴しい音楽を追悼の意味も込めて、いくつか振り返りたい。

まず、とうようさんと聞いてすぐに思い浮かんだのはヌスラット・ファテ・アリ・ハーンだった。とうようさんは1987年に「アジア伝統芸能の交流・第5回」という企画で初来日したヌスラットを観て衝撃を受けて、その時から熱烈に彼の魅力を説き続けてきた。

その後、ヌスラットはカッワーリーという宗教音楽の枠を超えて世界的に有名になったが、1997年48歳の若さでこの世を去った。この事は、少なからず長年支持し続けてきたとうようさんにとっても衝撃を与えたのではないだろうか。

1997年10月号のミュージック・マガジンでのヌスラットの追悼記事では「彼はまだ大きな可能性を秘めた未完の大器で、これから何かをやらかしてくれるか楽しみな存在だったのに、その可能性を封印したままこの世を去ったのは、テレサ・テンの急死と同様に残念でたまらない」というような事を書いている。

ヌスラットはその強烈な存在感のあるヴォーカルが世界に衝撃を与えただけでなく、そのフレキシブルな感性でイスラム神秘主義の宗教音楽であるカッワーリーのあり方そのものにも大きな影響を与えた。

その理由を書く前にまず、次の動画を見ていただきたい。多分、彼の絶頂期の時のライブだと思う。

◆Nusrat Fateh Ali Khan / Mustt Mustt


6分弱の短い動画であるが、楽器の編成こそ違うがリズムやテンションは欧米の音楽に馴れてしまった我々の耳にも違和感なく聴くことが出来ると思う。

しかし、カッワーリーは本来、このような構成の音楽ではない。最初にその曲のキーの提唱や詩の内容の説明があり、徐々にリズムが加わり、ゆっくりしたテンポから少しずつ早くなり後半に近づくにつれボルテージが上がっていって、聴くものを音楽の中に引き込んでいく。これを1曲30分以上かけて行うのが普通だ。

ここで聴くことが出来るヌスラットのカッワーリーは彼が作り上げた独自のスタイルで、それは欧米での演奏を数多くこなし、聴衆の反応をつぶさに観察してきたからこそ辿り着いた境地だったのではないだろうか。

そんなふるい形式に捕らわれず、柔軟な感性を持ち合わせていたヌスラットには生きていれば、まだまだ我々を驚かせてくれたに違いない。

それを思わせてくれるのが、とうようさんが先の追悼文の中で「事件」と称している、1992年に横浜で行われたWOMADのフィナーレでのハプニング。

実は自分もその場に居合わせた幸運に恵まれたのだが、とにかくその事件ともいえるヌスラットの行動は我々だけでなく、ステージに立っていたミュージシャンの人たちをもビックリさせたようだ。

その貴重な映像をYouTubeにアップしてくれていた方がいらしたので、ここでも使わせていただこうと思う。

◆1992年、横浜WOMAD、フィナーレ(1)


◆1992年、横浜WOMAD、フィナーレ(2)


SANDIIの音頭でジミー・クリフの「You can get it if you really want」を出演者全員で歌ったのだが、当初、ヌスラットが歌う予定はなかったようだ。というか、打ち合わせで歌って欲しいと依頼したら断られたらしい。だから、本当だったらステージには出てきてくれたものの、座っているだけの予定だったのだろう。

しかし、いざ本番になったら、人が歌っている所で当然唸りだした。そして、一人でそのフィナーレを全部持っていってしまったのだ。しかも、アウトロで流れてきたSANDIIの「SAYONARA」のテープにも合わせて歌っている始末。この時のヌスラットはそうと機嫌が良かったんだろうな。

まったく自分の音楽とは畑違いの曲に瞬時に合わせることが出来る宗教音楽家なんて、そうそういるものではない。いや、彼以外にいない。

そんな、とてつもないポテンシャルを持つヌスラットの事をパキスタンから遠く離れた地に住む、日本人である我々が聴く事が出来るようになったのは、とうようさんのご尽力以外の何物でもない。

その事に関してとうようさんにいくら感謝しても、したりないくらいだ。

今ごろ、彼の地でとうようさんはヌスラットの生の声を楽しんでいるかな。
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