★追悼、中村とうようさんの遺産(3)・・・フェラ・クティ [⇒中村とうよう]

◆Fela Anikulapo Kuti & Africa 70 / Opposite People (1977)Fela_OppositePeople.jpg

1970年代はまだ、自分は子供だったのでその頃の日本人の音楽感覚というのがどういったものだったのかは、正確にはわからない。

しかし、フェラ・アニクラポ・クティ(1970年代前半~中盤まではフェラ・ロンサム・クティ)が登場した頃は多分、多くの日本人にとって「アフリカ音楽」という言葉から連想するのは、現地の人々が槍を持って集団で太鼓のリズムに合わせて踊っているような、そんなステレオタイプのアフリカ音楽のイメージだったのではないだろうか。

よもや、ギターやベース、ドラムスといった欧米と同じ編成によるポピュラー音楽が存在しているなんて、どれくらいの人が知っていただろうか。きっと、ほんの一部の音楽マニアくらいだったのではないだろうか。

そんな状況でのフェラの登場はそれこそ、かなりの衝撃だっただろう。そして、フェラの音楽が日本人に浸透するようになった背景には、当然、中村とうようさんの存在があった。

「フェラ・クティ」の名前を聞いて多くの人がすぐ思い起こす曲は、きっと「Zombie(ゾンビ)」だろう。1978年(オリジナルは1976年)の「ゾンビ」の日本盤が発売された時のライナーにとうようさんはこう書かれていたそうだ(自分は持っていないので又聞き)。

「後世の歴史家がポピュラー音楽の歴史を書くときに、1970年代の世界の音楽に占めるフェラ・クティの位置を、1960年代におけるビートルズやボブ・ディランに匹敵するくらい大きなものに見るのではないか」

果たして、この言葉が現実になったかどうかは、それぞれのリスナーの判断にお任せしたいが、決して的外れな意見ではない事は多くの人が同意してくれると思う。

残念ながら、フェラの音楽はオリジナリティが強すぎて、「フェラの人気」=「アフリカ音楽の認知」とまではいかなかったかもしれないが、それでも彼の音楽が多くのリスナーや様々な分野のミュージシャンに多大な影響を与えたのは歴史が証明している。

自分がよく知っているのは、教授(坂本龍一)が1980年のアルバム「B-2 UNIT」でフェラからインスパイアされた「Riot in Lagos」という曲を作っていた。

世間的にフェラの黄金期と言われる1970中盤~後半はどれも名曲ばかりで1曲だけをチョイスするのは難しいが、自分の好みで挙げるとしたら1977年に発売された「オポジット・ピープル(Opposite People)」にしたい。

他のフェラの曲と比べるとテンポが遅めのミドル・テンポの曲だが、トニー・アレンの迫力あるドラミングは素晴しいし、ホーンやフェラのサックスのソロなどはまさに絶頂期と呼ぶにふさわしい出来。

◆Fela Anikulapo Kuti & Africa 70 / Opposite People


自分が持っているこの曲が収録されたVictor盤のリイシュー・シリーズではカップリングに「I.T.T.(International Thief Thief)」が選ばれている。この曲もまさにフェラ火山爆発といったアフロ・ビートの醍醐味を感じさせてくれる一品。

現在、入手できるCDは「Sorrow,Tears&Blood/Colonial Mentarity」とのカップリングのようだが、こちらもフェラの代表作といっても良い名曲。買って損はない。

我々が普通にフェラの音楽を聴けるような状況を作ってくれた中村とうようさんに改めて感謝したい。


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